【英国ファッション】イギリスの偉大な2人のクイーン~エリザベス女王とヴィヴィアン・ウエストウッド
英国の象徴と革新的なデザイナー 2022年、イギリスは盛大なお祭り(プラチナジュビリー;6月)のあと、大きな悲しみ(エリザベス女王崩御;9月)に包まれました。日・・・
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英国の象徴と革新的なデザイナー
2022年、イギリスは盛大なお祭り(プラチナジュビリー;6月)のあと、大きな悲しみ(エリザベス女王崩御;9月)に包まれました。
日本でも親しまれていたエリザベス女王。世界中の人々が哀悼の意を捧げショックが大きかったのですが、そんな衝撃的な2022年が終わろうとするころ、イギリスファッションの女王も亡くなったのです。
イギリスのファッションデザイナー、デイム・ヴィヴィアン・ウェストウッド。
政治的なスローガンをファッションに取り入れたり、環境活動にも熱心で、時には人々を驚かせながらもファッションを通して人間があるべき方向へ導こうとするウェストウッドの表現は、イギリスのファッションデザイナーの中でも最も革新的であったと思います。今回は「2人のクイーン」と題してエリザベス女王とヴィヴィアン・ウェストウッドについて少しお話させていただきます。
まずはご存じの方も多いかと思いますがヴィヴィアン・ウエストウッドについて少しご紹介。『パンクの女王』
イングランド中部ダービーシャーの村で生まれたヴィヴィアン・ウェストウッドは美術教師を目指していました。
ウエストミンスター大学を卒業し最初の結婚をしますが、1967年にアナーキストのマルコム・マクラーレンに出会ったことからデザイナーとして歩み始めます。
1971年にマルコムと共に最初のブティック「レット・イット・ロック」をキングズ・ロード430番地にオープン。古着とレコードの店でした。
皆さんも一度は目にしたことがある、エリザベス女王がプリントされたガーゼTシャツを生み出したのはこの頃です。
権威に反抗するスローガンを描き、あちこち破けたTシャツに黒いボンデージ・パンツを合わせるなど、2人のファッションは若者達に熱狂的に支持されるようになり、やがて「パンク」と呼ばれるようになります。
1974年店名を「SEX」に変え、1975年にはマルコムと共に、「SEX」の従業員や常連客がメンバーであったパンク・ロックバンド、『セックス・ピストルズ』をプロデュースします。パンク・ミュージックと共にパンク・ファッションは瞬く間に世界中に広まりました。
当初ウェストウッドは、パンクはファッションや音楽だけでなく反権威主義をはじめとする政治的な変化や革命を表現することを目指していましたが 、パンクが音楽やファッションの流行として若者達に受け入れられるだけのことに落胆し、方向性を変えSMの要素を採り入れたパンクのスタイルを確立させ、やがて「パンクの女王」と呼ばれるようになります。イギリスを代表するデザイナーへ
1979年にブティックを「ワールズ・エンド (World’s End) 」に変更します。この店舗は現在もキングズ・ロード430番地に存在し世界中のファンの聖地ともなっています。
1981年には初のコレクションを発表。パイレーツやバッファローなどイギリス海賊の黄金時代やホーボー(都会的なボヘミアン)スタイルをテーマにした、当時のコレクションデザイナーとは一線を画す自由な発想のコレクションを発表し続けてゆきます。
その後デザインの傾向を19世紀以前のヨーロッパの衣装からインスパイアされた、エレガントな路線へ。 イギリスやフランスの歴史とファッション史を研究し、伝統やエスタブリッシュメント(社会の主流派)をからかうような「ニュー・ロマンティック」スタイルを作り出し、ハイファッションをも制覇しました。が、なんといってもヴィヴィアン・ウエストウッドの魅力はファッション哲学です。
無政府主義の理想主義者で、イギリスのそれまでの権力構図に真っ向から挑みかかりイギリスのファッションを大きく変化させる一方、タータンなどの伝統的かつトラディショナルな素材をアヴァンギャルドに表現し、伝統と革新に挑戦し続けました。
美術教師を目指していたからか、美術史のようなコレクションも数多く発表し、表現の幅の広さがほかのデザイナーの追随を許さない魅力でもあります。
権威をものともしない反抗精神を、これまでの常識を覆すフォルムやコーディネートで表現し、コレクション毎に世界を驚かせ続けたヴィヴィアン・ウェストウッド。
1992年には大英帝国勲章(OBE;Order of the British Empire)、2006年にはデイム(Dame;ナイトに相当する叙勲)をエリザベス女王から授けられています。エリザベス女王のファッション
エリザベス女王はまさしくロイヤルファッションなのですが、外交はもちろん、民衆とのコミュニケーションの表現手段としてファッションを利用していました。
現代では、ロイヤルファッションもリアルタイムで注目され、その表現に意味を見つけようとるるのが当たり前ですね。話は飛びますが、19世紀のオーストリアはハプスブルグ帝国のエリザベート王妃もハンガリー王国の王妃に即位した際に、ハンガリー国旗の色をドレスで身に纏ったことにより、それまで反感を買っていた国民が一転、絶大な人気を得ることになったとか。
でもエリザベス女王のファッションはどことなく謙虚で控えめです。
例えば、エリザベス女王が結婚式を挙げた1947年は、まだ第二次世界大戦から2年ほどしか経っておらず国民は配給で生活をしていたため、配給券で購入したダッチェスサテンでウェディングドレスを製作したそうです。まだ女王即位前でしたが、国民に寄り添う女王のファッション哲学が見え始めたころと言えるでしょう。その後も、公務中はブローチをはじめ、ドレススーツ、帽子、パテントパンプス、ハンドバッグなどが女王の定番ワードローブとなっていくわけですが、遠くからでも『エリザベス女王』と一目でわかるように、自らをアイコンのようにした…という話を聞いたことがあります。 これはひとえに、献身的な君主として常に何よりもまず国民のことを考え行動してきたことを表していますが、同時に、エリザベス女王は、世界各国の首脳をはじめ男性社会の中で、女性の強さや良さを存分に表現していたとも考えられます。
その点で、エリザベス女王とヴィヴィアン・ウエストウッドは、アプローチは正反対であっても、世界に男女関係なくファッションで自らの思想や感情を表現することの重要性を、同じ英国から、教え導いてくれたリーダー的存在であったと思います。
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